08/02/11

フタツヤネノシタ 第2話


*312号室*

僕は開いたドアのノブを掴んだまま病室の少女の事を見て立ち尽くしていた。熱のせいだろうか、窓の逆光のせいか彼女は光り輝き、美しく見えた。

「あなたは誰?」

少女は微笑み顔のまま首を少しかしげた。とても優しい感じの声。僕より少し長く肩に少しかかる髪、大人びた顔、全体的に白い肌。僕の顔は熱くなった。

「ご、ごめん」

僕はすぐにドアを閉めようとした。不用意に人の病室を覗くもんじゃないな。

「待って」

彼女の声に僕はドアを閉める手が止まった。そして、部屋に入って、閉める。

無音の世界。僕は彼女を見て、彼女は僕を見ている。永遠に続けばいいのに、そんな事を思うほどだ。これが一目惚れなのかもしれない。

「『石原 亜衣(いしはら あい)』17歳。あたし、もうすぐ死ぬの」

彼女は顔色一つ変えずに言った。僕の表情はこわばってしまった。こんな人が死ぬのか?

「……どこが、悪いの?」

僕はドアノブを掴んだままドアに寄りかかった。

「全部」

「全部?」

「うん。全部」

「例えば?」

「あたしの靴下。降ろしてみて。自分じゃ降ろせないから」

「え?」

僕は突然の石原さんの一言にビックリした。けど僕は、彼女が病室なのに手袋をしていることに気がついた。きっと、何かあるに違いない。けど、僕にも恥じらいというものが……でも、石原さんの秘密が知りたかった。

石原さんの元に近づいて『ごめんね』と僕は言って、しゃがんだ。

「そういえば、君の名前は?」

「あ、ごめん。僕は『田村 永治』17歳。同い年だね。こう見えても男だから、間違えないでね」

「大丈夫。わかってたから。よろしくね。永治君。後、私の事は『亜衣』でいいから」

「あ、うん。わかった。こちらこそ、よろしくね。亜衣さん」

僕も亜衣さんも微笑んだ。

「だから、一思いにお願い」

亜衣さんは真面目な顔をして言った。僕はうなずいて、亜衣さんの靴下を下げた。

「……え?」

僕は驚いた。亜衣さんの足は光沢があり、石のように硬くなっていた。しかし、色は肌色で……何がなんだろうか僕にはわからなかった。そして、靴下を元に戻して亜衣さんの横に座った。

「……あたしの身体。少しずつ『プラスチック』になっていくの」

「ぷらすちっく?」

一瞬、意味がわからなかった。ぷらすちっくってあの『プラスチック』?

「そう、そして、最後は……」

最後は……

「動けなくなるの、等身大マネキン・フィギュアのようになるの」

嘘だろ? そんな、人間がプラスチックになるなんて……ありえない。

「もう、手と足は動かないし、下は腰まで、上は腕まで進行してる。後一週間もしないうちに、あたしは『人間で無くなる』の」

初めての一目ぼれの相手が、こんな難病になっているなんて。

「あのさ、あのタンスの一番上の引き出しから箱を取ってもらっていい?」

「うん、わかった」

僕は部屋の端にある、タンスから南京錠で鍵を掛けられている箱を取り出した。

「そうしたら、あたしの首にある鍵で箱を開けてもらっていい?」

「うん」

僕は麻衣さんの首から鍵のついたネックレスを取って、南京錠を外した。そして、箱を開けると黄ばんだような色の古臭い紙が入っていた。広げてみると、契約書と書かれていた。

『血印を押したもの、願いを叶える。代償は身体の自由及び永遠の苦しみ』

という、短い文章と亜衣さんだと思われる、赤い指紋。多分血だ。僕は、そっと紙を箱に戻して南京錠を掛けた。

「これで、お母さんを生き返らせたのそうしたら……」

突然、彼女の身体から水蒸気のようなものを噴出し始めた。

「う……あぁ……くっ……」

とても苦しそうなうめき声をあげていた。僕はどうしようもなく、心配するしかなかった。

水蒸気のようなものが治まり、彼女は荒く息をしていた。

「大丈夫?」

僕はそれ位しかいえなかった。

「大丈夫……いつものことだから……」

僕は見つけてしまった。亜衣さんの変化を。首にまで少し光沢が広がっていた。そうか、あの契約書っていうのが原因なのか……でも、この調子だったら一週間も持たないだろう。

「でも何でそんな事、初対面の僕なんかに教えてくれるの?」

「……」

亜衣さんはうつむいてしまった。もしかして僕、まずい事聞いちゃったのかな?

「あの……」

「ごめんなさい。あたし、友達がいなくて……正しく言えばいなくなってしまったんだけど」

いなく……なった?

「あたし、美竹(びたけ)高校に通ってて、友達は少なくは無かったのだけど、あの契約書を使ってから身体の変化が起きてこの病院に入院するようになって、初めはたくさんの人がお見舞いに来てくれたんだけど少なくなって、最後は1人の親友しか来なくなって、信頼していたからこそ、身体の変化を教えたんだ。彼女は驚いたけれども、とても心配をしてくれた。でも、次の日から来なくなってしまったの。やっぱり、気持ち悪いのかなって……」

亜衣さんの目から輝く光の筋。涙だ。

その親友が来なくなった理由は二つ考えられる。一つは、亜衣さんが言うとおり。もう一つは、亜衣さんを治すための手段を懸命に探しているか、だ。

僕はとりあえず、ズボンのポケットからハンカチを取り出し、亜衣さんの手を握って涙を拭いた。手は無機質な感触だ。手袋の上からだけど、彼女が『人間として死んでいく』のがリアルに伝わってきた。僕だったら耐えられない。

そういえば、亜衣さんが通っているのは美竹高校って言ってたな。僕が通っている高校の隣の高校か。正直言うと、美竹高校の方がレベルが高い。

「ありがとう……ごめんね。身体が動かせないから、心が弱いから……」

また、泣き始めてしまった。僕はまた拭いてあげる。

「けど、そのお友達は亜衣さんと会うのが嫌になったんじゃないんだと思うよ。もしかしたら、治すための手段を探しているかもしれないよ? 後、もしよかったらそのお友達の名前を教えてもらってもいいかな? 僕の知り合いかもしれないし」

「それは――」

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