07/11/25

あの青空に祈りを捧げ 第5話

・『512』それは彼女の

俺は橘病院の門の前に立っていた。俺、何やってんだろう……

吸い込まれるように病院の中に入る。中ではパジャマを着た人が目に入る。車椅子に乗った人や看護師だと思われる人もよく目に入る。流石病院である。

廊下を進み階段を上り長い廊下を足早に歩いていく。『512』俺の足はこの番号を見たとき、部屋の前で止まった。数字の下には『月見野優衣』と記入されていた。多分彼女の名前だ。俺はドアをノックをした。

「はい、どうぞ」

彼女の声だった。俺はドアを開けて彼女の姿を確認した。清潔感溢れる、狭くも広くも無い部屋に彼女がただ一人、ベットから起き上がっていた。

「あっ……来てくれたのですか。よかった」

彼女は俺の事を見ると一瞬驚いた顔をして、ホッとたような笑顔になった。俺はちゃんと病室に入ってドアを閉めた。

「俺なんかが来ちゃってよかったのですか?」

俺は苦笑を浮かべながら頭を掻いた。

「はい。来てもらって嬉しい限りです……あたし、入院してから話し相手が少なくて、退屈だったんです。もしよろしかったら、学校の事をお話していただけませんか?」

「あ、いいですよ」

「もしよかったら、あの椅子を使ってください」

彼女の指差す方向には丸椅子が置いてあった。俺はその椅子を持ってきて、彼女の前に座った。ついでに、荷物を邪魔にならないところに置いた。

「学校って、楽しいですか?」

「楽しいは楽しいですが、勉強とか色々大変ですね。それに――」

彼女はとても興味深そうに話を聞いている。

「それに比べたら、病院ってずっと寝ていられて楽そうなイメージがあるのですが」

「そんな事無いです。夜は早くてなかなか寝れないですし、食事だってあまり……それに、したいことが制限されてしまいますし……」

彼女の話は興味深くて、今度は俺が真剣な顔になる。俺は窓の外をちらっとみて思った。彼女はこの風景ばかりしか見れていないのだと。

「やっぱり、楽な事って無いんですね」

「そうですね」

彼女はすごい楽しそうに微笑んでいる。俺も楽しい。多分俺も彼女と同じような表情になっているのだと思う。

「そういえば、朝は母がすいませんでした」

すると、彼女は申し訳無さそうな表情になった。

「いやいや、あまり気にしてませんよ。というか、お母さんだったんですか」

「はい、ただ、最近心の病気になりかけてて……」

「何かあったんですか?」

俺は言った後、しまったと思った。空気が重くなっていく。

「実は、あたしの病気がわかった時に父がいなくなってしまったんですよ。あたしの入院が決まってたくさんのお金が必要なのに働き手がいなくなってしまい、母は父が逃げたと思いながら毎日パートをしています。だから、ストレスが溜まってしまい、心を病んでしまったのです。そのせいで疑心暗鬼になって、他人のことが信じられなくなってしまっているんです。ただ、あたしは父は逃げたんじゃないのだと思います。きっと、どこか当てがあっての行動だと思います。きっと、帰ってきます」

彼女は真剣な表情で俺の事を見ていた。俺は、うなずいてこう答えた。

「どんな人かは知らないけど俺もあなたの親父さんは帰ってくると思います。だから、あなたも信じてください。信じればきっと叶います。この言葉が綺麗事で気休めでしかなくても、俺は信じます」

そして、暫く沈黙が続いた。空気は重たくも軽くも無く、時間のみが過ぎていく。一秒でさえ一分に感じられた。

「はい」

彼女は静かに答えた。その表情は女神のような微笑だった。今まで溜まっていたものが吐き出されたような感じだ。

俺は時計を見た。外は夕日が輝き少し暗くなっていた。父が帰ってくるので、もう行かなくてはいけない。

「俺、そろそろ帰りますね」

「分かりました」

彼女は寂しそうな口調でで答えた。俺は椅子を戻して、荷物を持った。

「また、来てくれますか?」

「はい。また絶対来ます――」

この後の言葉が続かない。言いたいのに続かない。けど、俺はそのままドアの方へ向かっていった。

「あの、最後にお名前を……」

彼女はそっと聞いてきた。だから、俺もそっと答える。

「俺の名前は『多賀颯太』です。『優衣』さん。では、また来ますね」

俺は、彼女の反応も見ずに立ち去った。そして窓の外を見た。空はオレンジ色に染まっていた。

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